ボランティアと「ディアコニア」
Café de FUKUSHIMA の被災地支援は,平たく言えば,「善意」からしているのではなく,キリスト者の「使命」です。
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは,わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25:40)
人の子は仕え(ディアコネオー)られるためではなく仕える(同)ために,また,多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:45)
Café de FUKUSHIMAは,自身の働きを,ボランティア=「自主的に社会に無償で奉仕」とは考えません。志願兵ではなく,神の徴集(招集)兵であり,神に召され,主に仕え倣う働き,ディアコニアです。
ディアコニアは,「論じること」でなく「行う」だと思います。
出掛けて行けばニーズも見えてきます。
出会いがあり,喜びがあります。暇つぶしの相手でもいい。話を聞く,寄り添う,共感する,共に生きる。皆さんの今の苦境に同情し連帯する。
Café de FUKUSHIMAは,福島の被災者を「決して忘れてはいない」ことを表明し続けます。
「被災者と共に生きる」
『さあ,わたしの父に祝福された人たち,天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。』とイエス様は語られました。
「お前たちは,わたしが飢えていたときに食べさせ,のどが渇いていたときに飲ませ,旅をしていたときに宿を貸し,裸のときに着せ,病気のときに見舞い,牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」(マタイ25:34~)と,“困窮”を列挙しています。
人の窮状に鈍感では,行為は起こりません。共生の起点は,見ること知ることです。
減らないニーズ・激減したボランティア
原発の仮設は,実感として90%前後の入居率だと思います。避難は長期化し,高齢化も進んでいます。
支援のニーズは減っていません。一方で,「ボランティア震災直後の10分の1に減少」(社協を通したボランティアが,発生直後福島県で127,792人だったが,昨年度は15,066人)(NHK
2015.5.11)。
ボランティア激減=ピークの3%、不足深刻-福島・大震災5年 時事通信 2016.3.10
福島県社協によると、ボランティアセンターは県内18市町村に19団体あり、ピーク時の2011年5月には約3万4400人が活動していた。がれき撤去などが一段落し、15年末時点の登録者は当時の3%の900人弱にとどまる。
これらは当地に住む被災者の実感に合っています。仮設住宅に限らず,必要としている所をさがし,被災者・被害者の皆さんと共生ができればと思っています。
各仮設からの再訪要請,社協などからの協力要請も届いています。
そして,仮設に限らず,被災地の福祉施設・復興住宅・子供たち・高齢者は,今も助けを必要としています。