ようこそ,Café de FUKUSHIMA のホームページへ
Café de FUKUSHIMA (カフェ・ド・フクシマ) は,福島県の原発被災者の方々に同情し共に生きるために,イベントなどを通して支援をしています。
みんなでいっしょに… 笑う おいしいもの食べる お話しする そういう空間を創ります。
Café de FUKUSHIMA は,2011年3月26日,楢葉町・広野町・いわき市で被災者の皆さんに水や食料をお届けすることから始まりました。
新型コロナで、2020年3月20日以降集会を休止し、7月に再開しました。
その後は現在2022年1月まで毎月福島県の原発被災地で被災者の支援(集会)を続けています。集会を開けない時は、支援物資を持って伺っています。
被災者支援は、コロナ第6波(2022年1月~3月)の時は、会場の閉鎖などで4ヶ所が中止になりましたが、開催が出来る所を捜して、毎月継続しています。
2022年8月は休み、9月に再開(毎月の支援を始めた2015年1月以来初めてです。)
(2022.7.31記)
◇ 参加した被災者数が1万人を超えました。(2022年5月)
◇ 2022年の支援は、31ヶ所で参加被災者が795名でした。
◇ 2023年の支援は、18ヶ所で参加被災者が478名でした。(2023.12.30)
◇ 2024年の支援(出張)を開始しました。(2024.4.7)
◇ 2024年年末までの支援予定を改訂しました。(2024.10.10)
informationお知らせ
◇原発被災者支援の今後について (2023.12.31)
Café de FUKUSHIMAの原発被災地支援は,2011年3月26日,楢葉町・広野町・いわき市で被災者の皆さんに水や食料をお届けすることから始まりました。
ホテルに連泊して支援をしていましたが物足りず、2015年の初め「サマリタンハウス」(宮城県山元町)をつくりました。宿泊施設・倉庫物置・調理場です。
2015年以来473ヶ所・1万1262名の被災者を支援しました。
ライフワークだった原発被災者支援ですが、「毎月」の被災地訪問は本年で終了します。私たちも喜寿で、疲れるようになり、潮時かなと思います。
2024年からは、「毎月」の支援が「時々」の支援になります。サマリタンハウスはそのまま維持します。
人生3度目の定年を迎えるような気分がしています。
とは言え、未だに3万人以上の避難者が故郷を離れ、全国47都道府県・871市町村に散っています。
被災者・避難者のご苦労には終わりがないので、心残りです。来年は「時々」でも被災者支援(同情と共生)に出向きたいと思います。
◇2024年10月結果と12月予定を「今後の予定と最近の結果」に掲載 2024.10.26
◇2024年7月結果を「今後の予定と最近の結果」に掲載 2024.10.26
◇2024年4月結果を「今後の予定と最近の結果」に掲載 2024.5.28
◇2024年4月予定を「今後の予定と最近の結果」に掲載 2024.4.7
◇2023年12月結果を「今後の予定と最近の結果」に掲載 2023.12.30
◇2023年9月結果と10月~12月予定を「今後の予定と最近の結果」に掲載
2023.10.1
◇2023年6月結果と7月~12月予定を「今後の予定と最近の結果」に掲載
2023.6.30 2023.9.13 再改訂
◇2023年5月結果と6月予定を「今後の予定と最近の結果」に掲載
2023.5.27
◇2023年3月結果と4月・5月予定を「今後の予定と最近の結果」に掲載
2023.3.27 一部訂正 2023.4.3
◇2023年1月・2月結果と3月予定を「今後の予定と最近の結果」に掲載
2023.2.23
◇2022年12月結果と2023年1~3月予定を「今後の予定と最近の結果」に掲載
2023.1.18
◇2022年11月結果を「今後の予定と最近の結果」に掲載
2022.11.28
◇2022年10月結果を「今後の予定と最近の結果」に掲載
2022.10.31
◇コラム 福島の今 を(久し振りに)更新しました。2021.1.4
◇「台風19号被災地・被災者の(支援)情報」です。
(速報版です。丸森町と川内村の被害などを詳述しています)
◇ 新ページ 「コラム・福島の今」 ができました。
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支援をさせて頂いた方々(帰還先・復興住宅・被災者避難先など)
2024年(2024年10月末現在)
10月に出会った被災者・避難者:35名 総参加者52名
集計開始(2015年1月)からの累計:481ヶ所 被災者・避難者11,433名
参加者総数12,781名
2023年(2023年12月末現在)
12月に出会った被災者・避難者:84名 総参加者96名
集計開始(2015年1月)からの累計:473ヶ所 被災者・避難者11,262名
参加者総数12,569名
2022年(12月末現在)
今年訪問した被災者・避難者集会等31ヶ所 ◇出会った被災者795名
支援者を含む総参加者870名
2015年1月からの累計455ヶ所 被災者10,479名 (内男性2,223名)
総参加者11,689名
2021年(12月31日現在)
訪問した被災者・避難者集会等22ヶ所 ◇出会った被災者636名
支援者を含む総参加者716名
2015年1月からの累計425ヶ所 被災者9,655名 (内男性2,106名)
総参加者10,782名
2020年(12月31日現在)
訪問した被災者・避難者集会等35ヶ所 ◇出会った被災者885名
支援者を含む総参加者1,030名
2015年1月からの累計400ヶ所 被災者9,019名 (内男性1,988名)
総参加者10,065名
2019年(12月31日現在)
訪問した被災者・避難者集会等46ヶ所 ◇出会った被災者1,329名
支援者を含む総参加者1,711名
2015年1月からの累計366ヶ所 被災者8,134名 (内男性1,783名)
総参加者9,035名
2018年
訪問した仮設住宅など75所 ◇出会った被災者1,990名(支援者を除く)
総参加者2,479名
2017年
訪問した仮設住宅など 77所 ◇出会いがあった被災者の方々 1,500名
2016年
訪問した仮設住宅など 83ヶ所 ◇出会いがあった被災者の方々 1,489名
2015年
訪問した仮設住宅など 84ヶ所 ◇出会いがあった被災者の方々 1,561名
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(抜粋) 震災と原発事故の影響で避難を余儀なくされた人たちなどが暮らす災害公営住宅の入居戸数は、およそ6,900戸で、入居者の3割ほどが1人暮らしの高齢者です。
去年、災害公営住宅で、誰にもみとられず、いわゆる「孤独死」で亡くなった人は20人とこれまでで最も多くなり、コロナ禍によって人とふれあう機会が奪われる中で、どのように孤立を防ぐかが課題となっています。
福島県内では、8,164戸の災害公営住宅が整備され、昨年末現在で、84%にあたる6,864戸に入居しています。
このうち、県が管理する災害公営住宅では、入居者のおよそ3割が1人暮らしの高齢者です。
NHKが県や自治体に取材したところ、これまでに少なくとも52人が災害公営住宅で誰にもみとられず「孤独死」していたことがわかりました。
災害公営住宅での孤独死は、2016年が4人、2017年が8人、2018年が7人、2019年が13人と年々増えていて、2020年は20人と、これまでで最も多くなりました。
災害公営住宅の住民によりますと、新型コロナウイルスの影響で、外出自粛やイベントの中止などが続いていることから、住民同士の交流が減り、近隣住民による見守り活動も難しくなっているということです。
避難先での暮らしが長引き、コロナ禍によって人とふれあう機会が奪われる中、どのように孤立を防ぐかが課題となっています。
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(抜粋) 東日本大震災の発生から10年目となる2020年度、岩手、宮城、福島3県で震災関連死の申請が計32件あり、10件が関連死と認定されたことが7日、河北新報社の調査で分かった。申請は東京電力福島第1原発事故の避難が続く福島県が8割を占めた。(震災関連死取材班)
原発絡みか福島が8割
調査は1月下旬~2月上旬、関連死がこれまで1人でも認められた被災3県の71市町村を対象に実施した。本年度の申請、審査状況は表の通り。関連死は制度上、申請期限がなく、死亡時期にばらつきがある。20年度の申請には、発生1カ月以内に死亡した事例もあった。
福島県は27件の申請があり、自治体別では富岡、双葉、浪江3町が各6件。南相馬市5件、葛尾村3件、楢葉町1件と続いた。いずれも原発避難に絡む申請とみられる。
河北新報社の集計によると、1月末現在の関連死者数は全国3,773人。県別では福島2,318人(61.4%)が最も多く、宮城929人(24.6%)、岩手470人(12.5%)と続いた。
岩手、宮城は1年以内の死者が計1,344人(96.1%)で大半を占めた。福島は1年以内に亡くなった1,406人(60.8%)が関連死と認められた一方、5年目でも100人を超すなど、震災から時間がたっても認定が続いている。
福島県内4市町村で審査委員を務める今野順夫福島大名誉教授(社会保障法)は「原発避難の場合は数年後に自宅の様子を見に行ってショックを受けたり、避難生活の中で急に精神的な孤立が強まったりする。死亡時期で形式的に切らず、避難の実態を踏まえて常識的な判断をすることが大事だ」と強調する。
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(抜粋)福島第1原発事故で避難区域になった福島県双葉郡8町村のうち、開示資料に死亡時期が明記されていた楢葉町では、関連死に認定された人の半数が、亡くなるまで5回以上転居していたことが分かった。震災から半年以降に亡くなった人は7割に上り、安定しない生活と避難生活の長期化が大きな負担となっていた実態が読み取れる。(震災関連死取材班)
開示資料や町への取材によると、1月末現在、関連死と認定されたのは計140人。入院中に被災し、その後病院で亡くなった1人を除き、139人が避難を余儀なくされた。
一時的な入院を除き、平均約5回転居し、半数の73人は5回以上転居していた。最も多かったのは13回だった。4年8カ月後の2015年11月まで転居を強いられた人もいた。
関連死に認定された年代は80代が76人と最多。70代が28人、90代が27人、60代が7人、50代が2人。70以上が全体の9割以上を占め、災害弱者の高齢者に大きな影響があった。
7割以上の102人が原発事故前から高血圧や糖尿病などの持病を抱えていた。自殺と推察される事例も3件あり、避難生活が身体だけでなく精神的にも深刻なダメージを与えたことがうかがえた。
長引く避難、気力と体力奪う
「原発事故がなければ、こんな避難もしなくてよかった」。河北新報社が入手した福島県楢葉町の資料には、長期にわたる避難生活で被災者が気力と体力を奪われていく様子が克明に記されていた。
避難者の診察を続ける双葉郡医師会の堀川章仁会長(72)は「避難者は以前の生活に戻りたいという諦め切れない思いを抱えている。新居に移り住んでも『住めば都』にはならない」と指摘する。
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(抜粋) 復興庁は、東京電力福島第1原発事故による避難指示が帰還困難区域を除いて解除された大熊、浪江、葛尾3町村の住民意向調査の結果をまとめた。調査は、復興庁と県、3町村との共同で、浪江町と葛尾村が昨年10月、大熊町が昨年10~11月に行われた。
帰還の可否を判断する場合に必要な要素として、医療・介護福祉施設の再開・新設、商業施設の再開による買い物環境の充実を求める割合が高かった。葛尾村ではイノシシなどの有害鳥獣対策の要望も多かった。
【大熊町】復興拠点と位置付けた大川原地区の避難指示解除後初めての調査で「既に町で生活している」の割合は1.8%だった。
「(将来の希望を含め)戻りたいと考えている」は10.6%(前回比1.9ポイント減)で「まだ判断がつかない」が26.5%(同0.4ポイント減)、「戻らないと決めている」が60%(同0.7ポイント増)とほぼ横ばいだった。
「判断がつかない」と答えた人のうち「放射線量の低下のめど、除染成果の状況」「帰還困難区域の避難指示が解除される時期の目安に関する情報」との回答割合が4割前後に上った。
共同調査は7回目。5199世帯の代表を対象に行われ、2160世帯が答えた。
【浪江町】「既に町に戻っている」の割合は6.5%(前年比1.6ポイント増)に上昇した。「(将来の希望を含め)戻りたいと考えている」が11.4%(同0.4ポイント減)、「まだ判断がつかない」が26.1%(同4.1ポイント減)と微減する一方で「戻らないと決めている」は54.9%(同5ポイント増)と半数を超えた。
帰還の可否を判断する場合に必要な要素を尋ねると「医療・介護(サービス)の復旧時期のめど」が最も高い55.8%だった。「商業・サービス業などの施設の復旧時期のめど」は前年を14.5ポイント下回る36.2%で、昨年7月開店のスーパー「イオン浪江店」が好影響を与えたとみられる。
共同調査は8回目。7471世帯の代表を対象に行われ、3491世帯が答えた。
【葛尾村】「既に村に戻っている」の割合が28.4%(前年比3.5ポイント増)と3割近くに伸びた。「(将来の希望を含め)戻りたいと考えている」は19.5%(同1.7ポイント減)、「まだ判断がつかない」は18.2%(同5.2ポイント減)と減ったものの「戻らないと決めている」が31.8%(同5ポイント増)と3割を上回った。
帰還の可否を判断する際に必要な要素は「医療機関(診療科)の拡充」の割合が47.2%とトップで「戻らないと決めている理由」も「医療環境に不安
があるため」が5割に達した。
共同調査は6回目。510世帯の代表を対象に行われ、262世帯が答えた。
(抜粋) 東日本大震災や福島第1原発事故で被災し、災害公営住宅に住む岩手、宮城、福島の被災者100人を対象に共同通信が24日までに実施したアンケートで、生活再建が順調ではないと感じている人が51人に上り、半数を超えた。
地域になじめないことや、仕事がうまくいかないことが理由。今でも、生活に不安を抱える人が少なくないのが実情だ。
生活再建が「順調ではない」としたのは26人、「あまり順調ではない」は25人。
理由(複数回答)は「今の住まいや地域になじめない」が22人で最多、次いで「仕事が思うようにいかない・収入が戻らない」(19人)、「大切な人を失った」(7人)だった。
(抜粋) 東京電力福島原発事故で避難指示が出た福島県内12市町村で、営農を「再開した」「再開する」農家と、「しない」農家の割合がほとんど同じという結果が、「福島相双復興官民合同チーム」の営農再開グループによる訪問調査で出た。
合同チームのグループが、2017年4月~昨年12月にかけ、被災地の農家1774人を訪問し、意向をまとめた。再開したのは518人(29%)、今後再開する意向を示したのは247人(14%)で、計43%を占めた。一方、再開する意向のない農家は766人で43%を占めた。「未定」は243人で14%だった。
訪問対象となっていない農家も含めると実際は「農業をあきらめた」という人がもっと多くなるとみられる。
再開意向がない、または未定という農家に理由を聞くと、「帰還しない」(39%)▽「高齢化や地域の労働力不足」(38%)▽「機械・施設などの未整備」(19%)▽「農地の確保が困難」(10%)――などが挙がった。また、自営での農業は再開しなくても、農業法人など被雇用の形で携わると言う農家が98人(10%)いた。既に農地を貸している農家は85人(8%)、今後農地を貸す意向だという人が739人(73%)に上った。
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(抜粋) 東日本大震災後、岩手、宮城、福島の3県の災害公営住宅(復興住宅)で、誰にもみとられず亡くなる「孤独死」が少なくとも208人に上っている。被災自治体へのアンケートと3県などへの取材で明らかになった。
津波被害を受けた岩手・宮城両県では180人に達し、仮設住宅での孤独死(156人)を上回った(福島県は、仮設住宅での孤独死の数を把握していないと回答)。
3県いずれも復興住宅への入居が本格化した2017年以降、孤独死が急増しており、高齢化する被災者が周囲と交流しない「社会的孤立」をなくすための対策が求められる。
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(抜粋) 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が解除された福島県内の市町村で、旧避難指示区域内に帰還するなどした住民の割合(居住率)が23.2%にとどまることが分かった。
帰還住民の6割が高齢者という地区もあり、コミュニティーをどう維持するかも課題になっている。
居住率は旧避難区域に住民票がある人口のうち、実際に居住している人口の割合を計算した。一部地区の避難指示が10日に解除された大熊町は含まず、双葉町は帰還困難区域以外を含め全域で避難指示が続く。
浪江町は6.2%、富岡町は9.4%、飯舘村は16.7%にとどまる。避難先で自宅を再建した住民も多く、帰還を促進したい自治体側の思い通りには進んでいない現状も浮かぶ。
帰還住民の高齢化率の高さも際立つ。人口構成分類が10歳刻みの飯舘村は60歳以上が75.5%。放射線に対する子育て世代の不安が根強く、帰還をためらっているとみられる。
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復興庁は29日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の避難者数が、発生8年となる今年3月11日時点で5万564人になったと発表した。前回2月7日時点から1214人減り、来月にも5万人を切る見通しとなった。
震災直後の避難者数は推計で約47万人。 避難先は47都道府県の1001市区町村。都道府県別では原発事故の影響が大きい福島県が8678人と最も多い。次いで福島からの避難者が多い東京4595人、埼玉3460人、岩手3459人と続いた。宮城は1993人だった。
施設別では、仮設住宅や民間賃貸住宅などで暮らす人が3万712人などとなっている。
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(抜粋) 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示の解除などを経て、2018年度に地元で授業を再開した福島県内5町村の小中学校の児童生徒数が、19年度当初は計109人にとどまる見通しとなっていることが分かった。18年12月1日現在の140人から約2割減る見込み。1校は通学予定者がおらず、現状では再開から1年で休校となる方向だ。
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(抜粋)調査は、宇都宮大の高橋若菜准教授が、新潟県に避難して原発事故の損害賠償訴訟を提起した原告全237世帯の陳述書などを基に実施。避難生活の苦しみでは、「古里を失ったことへの悲しみ、葛藤」が区域内外でともに7割を超えた。経済的な負担が増す理由については、区域内は「失職」が7割弱、母子避難が多い区域外では「面会のための交通費」「二重生活に伴う食費や光熱費の増加」がいずれも6割以上を占めた。
また人間関係についても旧知の友人との関係が悪化し、区域内外で「孤独感を強めた、孤立した」の回答が4割前後に上った。
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(抜粋)福島県内の東日本大震災関連の自殺者が100人を超えて101人となったことが、警察庁のまとめで分かった。今年に入ってから4月に2人増えた。福島だけで全国の計214人の半数近くを占め、岩手、宮城を含む被災3県では計204人に上る。
年別で福島は13年の23人が最も多く、その後もやや減った程度で昨年は12人だった。
福島県によると、東京電力福島第1原発事故の影響で4万人以上の県民が今も避難生活を続け、精神面を含めた支援が課題となっている。福島大が昨年、原発事故で大きな被害を受けた双葉郡の住民を対象にした実態調査で、半数以上がうつ病に近い傾向を示した。
調査を主導した丹波史紀立命館大准教授(社会福祉論)は、自殺者が絶えない状況について「避難指示解除の時期や帰還のめどなど自分で判断できる材料が少なく、生活再建の見通しが立てづらい」と指摘。「長期化する避難生活の中で心身を病んでしまう傾向がある」とみる。
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(抜粋)東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴い避難している県民のうち、18歳未満の子どもの避難者数は4月1日現在、1万7487人で、前回調査した2017年10月1日現在に比べ567人減少した。
避難先別の内訳では、県内避難者は9,912人で前回調査から168人減った。県外避難者は7,575人で399人減少した。市町村別の避難者数は南相馬市の3,654人が最多で、浪江町が2,725人、大熊町が1,927人などと続いた。
子どもの避難者数は2012年4月1日現在の3万109人と比べると、1万2,622人少なくなった。
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(抜粋) 県は5日の「こどもの日」に合わせ、県内の4月1日現在の子ども(14歳以下)の数を発表した。人数は21万7331人で、昨年同期より4647人減少し、基準日が同じで比較可能な2011(平成23)年以降で最少となった。減少率は昨年と同じ2.1%だった。
2011年の27万2402人に比べ約5万5000人減少している。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故前から続く減少傾向に歯止めがかかっていない。県によると、出産世代とされる15~49歳の女性人口が4月1日時点で約32万3800人と、前年から約6800人減少している点などが背景にある。
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(抜粋) 東京電力福島第1原発事故に伴い小中学校の避難を続けてきた福島県内5町村で6日、地元での学校生活が7年ぶりに再開された。
児童生徒は計135人。原発事故前の3%にとどまるが、関係者は子どもたちの明るい未来に期待した。 地元で再開したのは富岡町、浪江町、葛尾村、飯舘村と川俣町山木屋地区。富岡、浪江両町は避難先の仮設校舎でも授業を続ける。
飯舘村では改修した飯舘中校舎で同校の生徒42人と小学校3校の児童33人が学ぶ。うち村内に暮らすのは8人で、大半が福島市など周辺から通う。
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(抜粋) 東京電力福島第一原発事故による避難指示が福島県浪江町、富岡町、川俣町、飯舘村で解除されて一年。各自治体は住民帰還に向けた施策に取り組んでいるが、解除の対象区域に住民登録がある計約三万七百人のうち、居住しているのは全体で約6%に当たる計約千八百人にとどまっている。
居住者数は二月末~三月一日時点のもので、避難先からの帰還者に加え、原発作業員など新たな住民も含まれる。 四町村それぞれの居住率は、浪江町3・4%、富岡町4・8%、川俣町31・1%、飯舘村11・0%。原発事故から七年がたち、仕事や教育の事情から避難先での定住が進んでいるとみられる。
浪江町、川俣町、飯舘村は昨年三月三十一日、富岡町は四月一日に対象区域が解除された。現在は第一原発が立地する双葉、大熊の二町全域と、五市町村にある放射線が高い帰還困難区域で避難指示が続いている。
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(抜粋)東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示が解除された福島県内の9市町村で、居住者のうち65歳以上の高齢者の割合(高齢化率)が44%を超えることが、本紙のまとめで分かった。
事故前の2010年より17ポイント高い。事故から7年がたち、若い世代を中心に避難先で生活基盤を整えた人が多く、高齢者が多く地元に帰っていることを裏付けた。住民の帰還は、政府の思惑通りには進んでいない。
九市町村は、田村市、南相馬市、楢葉町、浪江町、川俣町、富岡町、葛尾村、川内村、飯舘村
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(抜粋)東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が帰還困難区域を除く全域で解除され、間もなく1年となる。
9市町村に及んだ旧避難指示区域に戻った住民の割合(帰還率)は3.3~80.1%。第1原発に近く、避難が長引いた自治体ほど低い。全体では15.3%にとどまっている。
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(抜粋) 復興庁は13日、東京電力福島第1原発事故で甚大な被害を受けた福島県双葉、浪江両町の住民意向調査結果を公表した。
「まだ判断がつかない」と答えたのは全町避難が続く双葉町が26.1%(前回調査比3.2ポイント増) 17年春に帰還困難区域を除いて避難指示が解除された浪江町は31.6%(3.4ポイント増)。
「戻らない」は双葉町61.1%(1.2ポイント減)、浪江町49.5%(3.1ポイント減)だった。
一方で「戻りたい」は双葉町が11.7%(1.7ポイント減)、浪江町も13.1%(4.0ポイント減)にとどまった。浪江町で「帰還した」は3.3%。
調査は県と両町が全世帯主を対象に共同実施。17年10~11月に行った双葉町の回答率は49.9%、17年12月実施の浪江町は47.4%。
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(抜粋) 農水省東北農政局のまとめでは、東京電力福島第一原発事故で避難区域が設定されるなどした県内12市町村の2017(平成29)年産米の営農状況は【表】の通り
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(抜粋) 昨年3月31日、浪江町は帰還困難区域以外の避難指示が解除された。しかし、町によると、昨年11月現在の居住者は440人。震災前の人口約2万1千人のわずか2%に止まっている。
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(抜粋) 復興庁は、原発事故に伴う避難指示が大半で解除された富岡町と葛尾村の住民意向調査の結果を公表した。
昨春、大半で避難指示が解除された富岡町の調査は昨年8~9月に実施し、町民3203世帯(回答率46%)が回答した。
帰還の意向については、「すでに富岡で生活している」3% ▽「戻りたいと考えている」11% ▽「戻りたいが、戻れない」20% ▽「まだ判断がつかない」18%
▽「戻らないと決めている」47%だった。
葛尾村民への調査は昨年10月に実施し、343世帯(回答率62%)が回答した。
「現在、戻っている」が17%で約1年前の前回調査から7ポイント増え、「戻りたいと考えている」は27%。一方で「判断がつかない」は23%となり、帰還困難区域を除く避難指示解除から1年以上たっても帰還を迷う村民が多かった。
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(抜粋) 復興庁は、原発事故に伴う避難指示が大半で解除された富岡町と葛尾村の住民意向調査の結果を公表した。
昨春、大半で避難指示が解除された富岡町の調査は昨年8~9月に実施し、町民3203世帯(回答率46%)が回答した。帰還の意向については、「すでに富岡で生活している」3%
▽「戻りたいと考えている」11% ▽「戻りたいが、戻れない」20% ▽「まだ判断がつかない」18% ▽「戻らないと決めている」47%だった。
葛尾村民への調査は昨年10月に実施し、343世帯(回答率62%)が回答した。「現在、戻っている」が17%で約1年前の前回調査から7ポイント増え、「戻りたいと考えている」は27%。一方で「判断がつかない」は23%となり、帰還困難区域を除く避難指示解除から1年以上たっても帰還を迷う村民が多かった。
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(抜粋)復興庁は、避難者について「原発事故による自主避難者を含む」「震災前の住居に戻る意思がある」などと定義。都道府県の報告を基に全国の人数を集計している。
10月12日時点の全避難者は8万1866人いた。
読売新聞が47都道府県に避難者の集計方法を確認したところ、福島など3県は4月以降、自主避難者を含めていなかった。避難者数は3月から4月にかけて9493人減り、うち3県は7162人(福島5120人、宮城1377人、神奈川665人)だった。
自主避難者数がどの程度含まれているかは不明だが、福島、神奈川県は「大半が自主避難者」と話し、宮城県は「どれくらいかはわからない」とする。
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現在、平成30年までとしている避難指示区域等からの避難者に係る応急仮設住宅の供与期間の延長について、次のとおり決定したのでお知らせします。(福島県)
◇ 一律延長の対象市町村・区域(9市町村)
避難指示解除後の自宅の建築・修繕等住居の確保の状況を踏まえ、
平成31年3月まで更に1年間一律に延長します。
富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村及び飯舘村の全域(6町村)
南相馬市、川俣町及び川内村の一部区域(3市町村)
・南相馬市の帰還困難及びH28.7.12に避難指示が解除された区域(小高区など)
・川俣町のH29.3.31に避難指示が解除された区域(山木屋地区)
・川内村のH28.6.14に避難指示が解除された区域(下川内字貝ノ坂、荻の地区)
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<南相馬>避難指示解除1年 2割強が帰還 河北新報 2017年7月11日
南相馬市は12日、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示の解除から丸1年を迎える。一部に残る帰還困難区域は今も人が立ち入れない状態が続くものの、旧避難区域では2割強の住民が帰還を果たした。
一時避難区域となった地域の6月末現在の帰還者は2,359人。住民登録人口に対する居住率は24.2%だった。このうち、全域が避難区域に含まれた小高区は帰還者2,008人、居住率22.5%となった。
今年4月には避難区域内にあった五つの小中学校も再開した。児童生徒数は約130人と原発事故前の1割強にとどまる。
福島民報 2017年7月11日
【小高区】2千人を超えた居住者数だが、登録人口に占める割合はまだ約2割だ。さらに、居住者の中で65歳以上の高齢者の割合が約5割を占める。震災前の2010年度に約千人いた小中学校の児童生徒は129人で、仮設校舎当時よりも減った。原発事故前は約1万3千人だった住民登録者数は9千人を切っている。
【福島県】県外避難者509人減 東京への避難者4333人、福島県発表 福島民友新聞 2017年07月11日
福島県は10日までに、福島県から県外への避難者は6月16日現在35,661人で、前回調査(5月16日時点)から509人減ったと発表した。 都道府県別の避難者数は、東京への避難者が4,333人で最も多かった。
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(抜粋) 福島第1原子力発電所事故による避難指示が帰還困難区域を除き解除された福島県葛尾村で、帰還者数が今月1日現在で147人にとどまることが、同村への取材で分かった。12日で避難指示解除から1年が過ぎたが、帰還者の割合は約1割にとどまる。
同村によると、帰宅困難区域を除く村外への避難者は約1100人に上る。帰還した住民では、農業を再開したのは稲作で14戸、畜産で4戸。水田には除染後の汚染土が山積みされた状態で残っている。従来あった医療、商業関連の施設も再開していないところが多く、帰還に踏み切れない住民が多いとみられる。
全ての避難指示が解除され、14日で1年を迎えた川内村でも、今月1日現在で自宅に戻ったのは61人にとどまった。約240人が村外に避難し、住民帰還の割合は約2割にとどまっている。実際に住民が帰還するのは簡単ではないことを改めて裏付けている。
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県は12日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で県内外に避難する18歳未満の子どもの数(4月1日現在)を発表した。前回調査(昨年10月1日時点)より1,520人少ない1万8,910人となり、初めて2万人を下回った。
県内避難が1万286人(前回比892人減)、県外避難が8,624人(同628人減)
県は避難指示解除や復興公営住宅の整備が進み、子どもを連れて県内に戻った人が増えたことなどを要因に挙げている。
市町村別を見ると、南相馬市が最多の3,837人で、浪江町2,846人、富岡町1,977人、大熊町1,973人、郡山市1,707人などだった。県外への避難者数は、郡山市が1,676人と最も多かった。次いで福島市1,365人、南相馬市1,044人、浪江町1,043人などだった。
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約24,000人の避難生活はいや応なく継続 河北新報 社説 2017年4月16日
福島第1原発事故に伴う福島県内の避難指示が今春、帰還困難区域を除く富岡町、浪江町、飯舘村と川俣町山木屋地区でほぼ一斉に解除された。
原発事故では最大で県内11市町村の計約8万1千人が避難対象となった。今回の解除対象は約3万2千人。既に解除されていた楢葉町などを含めると、当初人口との比較で約7割が帰還可能となった。
復興庁が昨年実施した富岡町の住民意向調査で、「町に戻らない」との回答は57.6%に達し、「戻りたい」は16.0%にとどまった。数字が示す通り、実際の帰還者は当初は少ない見込みだ。
政府は1日、前日の福島県浪江町・飯舘村・川俣町に続き、富岡町でも東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示を解除した。
帰還困難区域を除き、今春までに解除するとの政府目標は達成されたが、当面の帰還者は1割に満たない。
国や自治体は廃炉産業などを頼りに新住民を転入させ「まち残し」を図る一方、事故前からの住民には見知らぬ廃炉・除染作業員との共生に不安を感じる人も少なくない。作業員が帰還者の数を上回る町もあり、復興に向けた新旧住民の共生は一筋縄ではいかない。
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復興庁の意向調査は昨年8月~今年1月、各町村の避難指示区域内の住民を対象に実施。避難指示解除後、元の町村に戻るかどうかなどを聞いた。
4町村のうち、「戻らない」の割合が最も高い57.6%だった富岡町の場合、原発事故前の人口と比べ、13.7~24.6%にとどまった。
浪江町は「戻りたい」の割合が17.5%だった。 内陸部の飯舘村と川俣町山木屋地区は「戻らない」が3割ほどで、帰還を望む住民の割合が比較的高い。飯舘村が40.9%、山木屋地区が46.8%となった。
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津波や東京電力福島第1原発事故で住む場所を失い、今も12万人以上が仮設住宅や親族宅などで避難生活を続ける。
岩手、宮城、福島3県によると、プレハブ仮設住宅の入居者は約3万6000人。沿岸部の基幹産業である漁業は水揚げ量が震災前の2010年と比較して岩手57%、宮城75%、福島22%。農地復旧率は岩手66%、宮城93%、福島47%で、いずれも原発事故の影響を受ける福島の回復が遅れる。
原発事故に伴い福島県内の最大11市町村の約8万1000人に出された避難指示は帰還困難区域を除いて解除され避難区域の68%が居住可能となるが、これまでに避難指示が解除された区域の帰還率は13%にとどまる。
警察庁まとめでは東日本大震災の死者は1万5893人、行方不明者2553人。復興庁が1月に発表した震災関連死は3523人で、犠牲者は計2万1969人に上る。
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政府は、東京電力福島第一原発事故で福島県内の4町村に出した避難指示を3月31日と4月1日に一斉解除する。対象は約3万2千人。
事故直後に11市町村約8万1千人に出されていた避難指示は、対象区域の約7割で解除され、今後は5年後をめどにした「帰還困難区域」の一部解除に焦点を移す。
3月31日に浪江町、川俣町、飯舘村、4月1日に富岡町の避難指示が解除される。対象者は計約3万2千人。
これまでに解除された5市町村と合わせると、解除対象は、避難指示後に転出した人などを除いて計約5万2千人(昨年7月時点)になる。
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早稲田大災害復興医療人類学研究所と震災支援ネットワーク埼玉(SNN)は25日、東京電力福島第1原発事故で本県から首都圏に避難した住民を対象にしたアンケート結果の速報値を発表した。
回答者のうち心的外傷後ストレス障害(PTSD)に相当する高い心理的ストレスを抱えている人は51.9%で、前年調査と比較して17.2ポイント増加した。
同研究所は「社会全体の関心が薄れる中で帰還政策が進んでいく。同時に生活支援の打ち切りの時期なども具体化していき、被災者の不安が増加しているのではないか」と分析している。
昨年の調査結果のうち、今回の速報値と同様のデータとして帰還困難区域からの避難者のPTSDに相当する人の割合は34.7%となっており、PTSDの割合が丸6年を迎える前に上昇した。早稲田大災害復興医療人類学研究所の辻内琢也所長は「数値の上昇は危険信号。単なる心理的ケアでは不十分で、生活経済支援を含めた社会的ケアが必要だ」と指摘している。
また、帰還について聞くと「帰りたくない」が28%で、「絶対に帰りたい」と「帰りたい」を足した19%を上回った。地域の避難指示が解除された場合の世帯の方針を聞くと「当面は避難を続ける」が35%で最多。「移住する」は23%、「帰還する」は6%だった。
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2017年3月の結果(6会場 4仮設 1自治会 2社協)
◇3月17日(金) 旧松川小仮設住宅(3回目)(松川町・飯舘村民)
◇3月18日(土) 社協サポートセンター希望(仮設・借上対象・土曜の部)(2回目)(南相馬市・小高区民)
◇3月20日(月・休) 千倉仮設住宅(3回目)(南相馬市・小高区民)名古屋岩の上教会と合同
◇3月21日(火) 社協サポートセンター希望(仮設・借上対象・火曜の部)(初回)名古屋岩の上教会と合同
◇3月23日(木) 牛越第3・第4仮設住宅(2回目)(南相馬市・小高区民)
◇3月24日(金) 飯舘村南相馬自治会(7回目)(南相馬市・飯舘村民)
出会った方々 127名(内男性26名) 総参加者169名 庖丁研ぎ33世帯39本
提供したのは、豚汁(70リットル)・ご飯(100カップ)・漬物・腹話術・DVD上映(きみまろ コロッケ ドリフターズ)・自家焙煎コーヒー
名古屋岩の上教会提供のプリサーブドフラワーアレンジメントも好評でした。
5会場でビンゴゲームをしました。ゲームになると皆さん元気さが増します。
手芸用(和服)布地・タオル・雑巾などを今回も配りました。喜んで受け取って頂きました。
仮設住宅の月間予定を見ると、Café de FUKUSHIMAのイベントが唯一という所もたくさんあります。ディアコニアとして、住民が半分になった仮設住宅は、「未だ半分も避難者が残っている」と言わなければなりません。
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各地方公共団体の協力を得て、避難者等の所在都道府県別・所在施設別の数(平成29年1月16日現在)を把握しましたので、以下の通り公表します。
① 全国の避難者等の数は、約12万7千人
② 全国47都道府県、1,099の市区町村に所在
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原発事故の避難指示が2014年4月以降に解除された福島県田村市、川内村、楢葉町、葛尾村、南相馬市の5市町村で、解除された地域への住民の帰還率が全体で約13%にとどまることが28日、各自治体への取材で分かった。
5市町村で解除された地域に住民票がある計1万9460人のうち、昨年末から今年1月の時点で、実際に住んでいるのは計2561人で13.1%だった。
川内村の避難指示は14年10月と16年6月に段階的に解除され、311人のうち64人が居住。帰還率は20.5%。16年6月に一部が解除された葛尾村は1333人中107人が帰還した。
南相馬市では、半年の間に1万218人中1395人が戻り、13.6%と比較的順調に帰還が進む。
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双葉町・浪江町の「住民意向調査」(復興庁)の結果が発表されました。
(2016.11.26)
浪江町の場合
すぐに・いずれ戻りたいと考えている 17.5%(17.8%)
まだ判断がつかない 28.2%(31.5%)
戻らないと決めている 52.6%(48.0%) (カッコ内は昨年9月調査)
(詳しいことは「福島の被災者」のページをご覧ください。リンクもあります。)
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2017年2月の結果(5会場 6仮設住宅 1復興住宅)
2月16日~2月25日(2017年第2次)
◇2月18日(土)上野台・大木戸仮設住宅(3回目)(伊達市・飯舘村民)
◇2月20日(月) 友伸グランド仮設住宅(4回目)(南相馬市・小高区民)
◇2月21日(火) 大町災害公営住宅(初回)(南相馬市原町区・南相馬市民)
◇2月23日(木) 若宮前仮設住宅・稲川原仮設住宅(6回目)(郡山市・川内村民)
◇2月24日(金) 南一丁目仮設住宅(6回目)(郡山市・川内村民)
出会った方々 86名(内男性12名) 総参加者95名 庖丁研ぎ 43世帯44本
復興住宅に移った方々も、皆さん交流の場を求めておられるのが分かりました。
川内村の仮設住宅(在郡山市)は、3月でなくなります。6回目となった今回が最後の訪問になったでしょう。仮設に3月31日まで居るという方もおられました。川内村での開催を皆さんが熱望されました。必ず実現させたいと思います。
5会場でビンゴゲームをしました。皆さん張り切っておられました。布地(和服)も、各所で喜んで受け取って頂きました。
「福島県4町村の避難指示、一斉解除へ3万2千人が対象」「避難者は、今も約12万3000人」「避難者プレハブ仮設住宅にまだ3万5千人」「避難指示解除5市町村住民帰還率13%」「原発事故で首都圏に避難した住民の心的外傷後ストレス障害(PTSD)52%、前年比17%増」「東日本大震災に関連した自殺者は、2015年までで162人。うち福島県が80人と突出」(ここ1ヶ月の新聞報道より)
これらは、お会いした皆さんにお聞きした状況に合致しています。そして、支援(同情と共生)が未だ未だ必要なことを明示しています。
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2017年1月の結果(6施設・7ヶ所)
1月18日~1月28日(2017年第1次)
◇1月20日(金) 小高東町復興住宅(2回目)(南相馬市・小高区民)
◇1月21日(土) 社協いきいきデイサービス(初回)(南相馬市の仮設・借上の方々)
◇1月23日(月) 吉倉公務員宿舎飯舘自治会:大人向け(初回)(福島市・飯舘村民)
◇1月23日(月) 吉倉公務員宿舎飯舘自治会:子ども向け(初回)
(福島市・飯舘村の子供たち)
◇1月25日(水) 岳下仮設住宅(二本松市・浪江町民)
◇1月26日(木) 社協ニコニコ元気塾(8回目)(南相馬市・南相馬市民)
◇1月27日(金) 飯舘村南相馬自治会(南相馬市・飯舘村民)
出会った方々 117名(内男性25名) 総参加者151名 庖丁研ぎ 33世帯37本
7ヶ所中3ヶ所が初訪問でした。この2年に限っても訪問した群れは67ヶ所。尋ね求めると、未訪問がまだまだ見つかります。
6ヶ所でビンゴゲームをしました。皆さん張り切り、目の輝きが増します。
今年3月で避難指示解除や仮設住宅廃止になる避難者の方々も多く、その方々は、「帰れるのに帰らない人たち」になってしまいます。
12月の結果(5会場・7仮設住宅)
12月22日~31日(2016年第12次)
◇12月24日(土) 牛河内第3仮設住宅(南相馬市・小高区民)(4回目)
◇12月26日(月) 南一丁目仮設住宅(郡山市・川内村民)(5回目)
◇12月27日(火) 若宮前仮設住宅(郡山市・川内村民)(5回目)
稲川原仮設住宅(郡山市・川内村民)(5回目)
◇12月29日(木) 牛越第1仮設住宅(南相馬市・小高区民)(4回目)
牛越第2仮設住宅(南相馬市・小高区民)(4回目)
◇12月30日(金) 小池原畑第2仮設住宅(南相馬市・小高区民)(4回目)
(29日・30日は、名古屋岩の上教会と合同開催)
出会った方々 87名(内男性20名) 総参加者108名 庖丁研ぎ 47世帯53本
「家(仮設)が狭くて、お正月でも家族が来られない」など、原発事故で
大家族が四散し、以前のような楽しい正月は過ごせない皆さんでした。
年末でしたが、多く被災者にお出で頂きました。8名の方々に応援して頂きました
また、段ボールで二十数箱の支援品を皆様から送って戴きました。
クリスマスプレゼントやビンゴゲームに用いて、被災者の方に喜ばれました。
この1年で出会った被災者の方々は、総数1,489名でした。(庖丁研ぎは740本)
11月の結果 11月17日~11月26日(2016年第11次)(6ヶ所)
◇11月19日(土) 寺内第2(南相馬市・小高区民)(2回目)
◇11月20日(日) 小池長沼(南相馬市・小高区民)(9回目) (山元のぞみ教会)
◇11月21日(月) 小池原畑第2(南相馬市・小高区民)(3回目)
◇11月22日(火) (福島県庁サマリタンハウス来訪対応)
◇11月23日(水) 鹿島西町復興住宅(南相馬市・南相馬市民)(初訪問)
◇11月24日(木) 南相馬市飯舘自治会(4回目)(南相馬市・飯舘村民)
◇11月25日(金) 大鹿(南相馬市・小高区民)
出会った方々 104名(内男性29名) 総参加者129名 庖丁研ぎ 45世帯49本
今回も小規模仮設等を訪問しましたが、多く被災者にお会いできました。
早い方では、仮設入居期限が来年3月末です。線量が下がらず帰還するか迷っている方、住宅の再建が進まず焦っている方、原発事故後5年8ヶ月です。皆さんが安心して暮らせる日はいつになるのでしょうか。
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10月の結果 10月17日~10月29日(2016年第10次)
◇10/19(水)旧平石小学校(二本松市・浪江町民)
◇10/20(木)高見町第1仮設住宅(南相馬市・小高区民)
◇10/22(土)寺内塚合第2仮設住宅(南相馬市・小高区民)「芋煮会」(協賛)
◇10/24(月)大野台第6仮設住宅(相馬市・飯舘村民)
◇10/25(火)社協「いきいきデイサービス」(南相馬市・小高区からの避難者)
◇10/27(木)石神第1・第2(本宮市・浪江町民)
◇10/28(金)貝山仮設住宅(三春町・葛尾村民)
出会った方々 135名(内男性23名)(参加者総数164名) 庖丁研ぎ 44世帯 52本
今回は小規模仮設を多く訪問しましたが、多く被災者にお会いできました。
避難指示が解除になった地域、解除時期が迫っている地域、どちらにしても帰還できないでいる皆さんは苦悩されています。
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9月の予定 9月18日~9月28日(2016年第9次)
◇9/20(火)南相馬市飯舘自治会(南相馬市・飯舘村民)
◇9/21(水)南矢野目仮設住宅(福島市・浪江町民)
◇9/23(金)寺内塚合第2仮設住宅(南相馬市・小高区民)名古屋岩の上教会と合同
◇9/24(土)小池小草仮設住宅(南相馬市・小高区民) 名古屋岩の上教会と合同
◇9/26(月)伊達東仮設住宅(伊達市・飯舘村民)
◇9/27(火)塩沢農村広場仮設住宅(二本松市・浪江町民)
出会った方々 150名(内男性24名) 庖丁研ぎ 52世帯 56本
秋雨続きでしたが、イベントは邪魔されず、多く被災者にお会いできました。
仮設住民が減少する中、前回訪問時より多いか前回並み方にお出で頂きました。
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8月の支援 8月19日~9月1日(2016年第8次)
◇8/22(月)松川第2設住宅(福島市・飯舘村民)
◇8/23(火)杉内多目的運動広場(二本松市・浪江町民)
◇8/24(水)斎藤里内仮設住宅(三春町・葛尾村民)
◇8/26(金)南一丁目仮設住宅(郡山市・川内村民)
◇8/27(土)若宮前・稲川原仮設住宅(郡山市・川内村民)
◇8/29(月)寺内塚合第2仮設住宅(南相馬市・小高区民) 小池長沼仮設住宅(同)
◇8/31(水)岳下仮設住宅(二本松市・浪江町民)
出会った方々 131名(内男性22名) 庖丁研ぎ 61世帯 76本
期間中台風が2つ来ましたが、最終日を一日延期した以外は、予定通りでした。
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VBS Ministry Support for Fukushima
ある宣教師(Christian Reformed World Missions)から、福島の被爆者・被災者のことを聞いたアメリカの教会学校夏期学校(VBS:Vacation
Bible School)の子供たちが、お金を集めて飲用水を届けてくれることになりました。
真野ダムの水を飲んでいる幾つかの仮設住宅を選んで今月中にお届けします。当地のスーパーマーケットの店長さんに御協力いただき、2リットル6本入りケースを約300世帯にお届けすることが出来ます。総量で3.6トンになります。
現在お配りする日時や方法を、各自治会長さんと相談しています。
(真野ダムに棲む魚などの水生生物放射性物質調査結果 環境省 平成25年3月1日 )
2つの仮設住宅に210箱(2リットル 入り1,260本)をお届けしました。
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「皆で笑って味わって。心通うひとときでした」(紙面より)
5月31日の南相馬飯舘自治会での様子が掲載されました。
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7月の支援 7月17日発~7月27日戻り(第7次)
◇7/19(火)飯舘村自治会(南相馬市原町区・飯舘村民)
◇7/20(水)松川第1仮設住宅(福島市・飯舘村民)
◇7/21(木)南相馬市 社協 ニコニコ元気塾(南相馬市鹿島区・南相馬市民)
◇7/23(土)狐田仮設住宅(三春町・葛尾村民)
◇7/25(月)小田部仮設住宅(本宮市・浪江町民)
◇7/26(火)小高区東町団地復興住宅(南相馬市・小高区民)
◇7/28(木)寺内塚合第2仮設住宅(南相馬市・小高区民)
出会った方々 167名(内男性33名) 庖丁研ぎ49世帯 68本
2組・3人の方が応援に来てくださいました。
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Café de FUKUSHIMA の活動地域
福島原発の北側・西側のほぼ全域,福島市・伊達市・二本松市・相馬市・南相馬市・郡山市・本宮市・三春町で支援活動をしています。 最近は、いわき市にも出掛けています。
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4月20日に三春町にある葛尾村の斎藤里内仮設住宅を訪問しましたが,村の広報の方の取材がありました。広報紙「かつらお⑤」(5月号)に記事が掲載されました。
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声を掛けてください
原発被災者・避難者の仮設住宅・復興住宅や自治会などからの要望があれば,イベントで支援をさせて頂きます。ご連絡ください。費用は頂きません。